心理戦と秘密工作 政治・経済分野の「秘密戦争」~「特殊工作員」と「秘密工作員」に求められる能力とは~
「警察」が、国内においてしか権限を持っておらず「国境」を超えられないのに対して、「軍」は「国境」を越えて国内外において政治的・経済的な目的を達成するために行動する。

日本国内および海外の安全保障において、軍事作戦の主体が、「正規戦」から「非正規戦」がメインとなりつつある現在の情勢において、陸上自衛隊の最大の秘密のベールに包まれる陸自「特殊作戦群」(日本版グリーンベレー)は、「特殊工作活動」を任務とする防衛大臣直属の精鋭部隊だ。 「警察」が、国内においてしか権限を持っておらず「国境」を超えられないのに対して、「軍」は「国境」を越えて国内外において政治的・経済的な目的を達成するために行動する。
映画・ドラマの影響のせいもあり、一般の人々にとっての「特殊部隊」や「特殊作戦」としてイメージされるものは、少数精鋭の部隊が敵の拠点に奇襲攻撃して制圧したり、拘束されている人物を救出するようなものであったりする。そういった作戦は、もちろん「特殊作戦」であるが、実際の「特殊作戦」は、心理戦、メディア戦、宣伝戦、法律戦、失脚工作、暗殺工作、サイバー戦なども含み、「多種多様な作戦内容」を包括する。
「戦い」とは、「相手に対して、自分の意思を強要する」もの。
「戦い」の「勝者」は、「敗者」に対して自分の意思を強制することができる。 一方、敗者は勝者の意思に従わなければならない。
「特殊作戦」(非正規戦)と「通常の正規戦」の違いは、「特殊作戦」においては「最終目的とされる作戦結果を実現するプロセスにおいて、通常の軍事作戦の範囲におさまらないファクターが含まれている」ことである。
◇特殊作戦における秘密工作
現在の日本人の多くがイメージする「戦争」は、物理的な戦闘で敵の戦闘力を撃滅するものであり、それらは正規軍の任務とされる(正規戦)。しかし「特殊作戦」は、軍事的な物理的な戦闘のみを手段として限定しない戦いとなる(非正規戦)。 例をあげれば、敵の勢力や影響力を弱体化し、時には敵対する国の政権を転覆するために、現地の民衆の人心を獲得する工作活動も行う(心理戦)。
国際会議や経済交渉において、政治的な利害が対立し、「交渉」では有効な解決の道筋が見えない状況であれば、相手の領域や足元に潜入して、「交渉を有利にすすめるための有効な情報」を収集する。この段階における情報収集においては、政府要人、経営者の「愛人・不倫などのセックス・スキャンダル(注1)」、「金銭スキャンダル(注2)」などの情報収集が行われる。もし、「外交交渉を有利に進める」ことを可能にするこれらの情報を収集できない場合には、高度な「秘密工作」が求められることになる。
政府要人や経営者のうち、「交渉を有利に進めるうえで障壁となる人物」を失脚させるために、「セックススキャンダル」を仕掛けるために「女性工作員」を送り込んで、不倫関係に陥らせたり、性犯罪スキャンダルで失脚させるような「秘密工作」も行われる。また、当事者にとって不都合な「映像データ」や「録音データ」を大々的に流出させて失脚させるような「特殊作戦」も遂行される。
また、「黒い資金」を意図的に受け取らせて、「収賄疑惑」で政治家を失脚させたり、「脱税」スキャンダルなどを仕掛けるような「秘密工作」もある。
あるいは、「自動車事故」や「病死」に見せかけた「暗殺工作」(注2)も行われ、標的に「覚醒剤」や「違法薬物」を所持させて、逮捕させるような「秘密工作」も現実の世界で繰り広げられる。
そして、これらの秘密工作と密接な関係にあるのが、「メディア戦」・「心理戦」であり、政府要人や経営者のスキャンダルは、大々的に報道される。
また、標的とする人物の家族などに対して、「危害」を加えるような「秘密工作」を行い、相手を畏怖させて意思を弱体化させ、意思を変えさせるような試みもある。
これらの「特殊作戦」を遂行することによって、「敵の意思を変更または挫折」させる。 うえにあげた「特殊作戦」以外にも、技術の進歩に応じて作戦目的を達成するために有効な新しい手段が創造され続ける。さらには、望ましい政治的な環境を長期にわたって持続させるために、長期間にわたる「特殊作戦」が継続されることもある。
「特殊部隊」は、単なる「ミリタリー・フォース」ではなく、むしろ「ポリティカル・フォース」ととらえるべきものである。 「正規軍の部隊」が、軍事的合理性に従って行動するのに対して、「特殊部隊」は、政治的合理性に従って行動する。
アメリカの「特殊部隊」は、単純な軍事作戦ではなくアメリカに好都合な政権の維持と存続、また不都合な政府を転覆させる「秘密工作」活動を行う。 政治的あるいは経済的な「謀略」を仕掛けたり、要人の誘拐・暗殺を行い、政治的な目的や経済的な目的を達成するための「特殊作戦」を遂行する。
◇特殊作戦に従事する「秘密工作員」や「特殊工作員」に求められる能力
ここまで読んだ人はおそらくわかることだろうが、「特殊作戦」に従事する「秘密工作員」や「特殊工作員」に求められる能力は、「戦闘能力」だけではなく、目的を達成するための「企画能力」と「実行力」である。
「通常の正規戦」に従事する歩兵部隊の兵士は、他の兵科である「砲兵部隊」や「機甲部隊」、「通信部隊」、「衛生部隊」と連携して、「全体の歯車の一部」としての役割を期待される。
普通の軍事作戦の場合、末端の兵士になるほど、下にいけばいくほど、自分で考える余地は少なくなっていく。
一方の「特殊作戦」に従事する「隊員」や「秘密工作員」、「特殊工作員」の場合は、全員が指揮官、将校と同じように現場で判断することが求められる。
「特殊作戦」に従事する「秘密工作員」や「特殊工作員」に求められるのは、自らが独立して作戦を企画し、状況の変化に柔軟に対応し、作戦を遂行し、作戦目的を達成するということである。
できるだけ目立たず融通の利く行動が要求されるため、1人1人に求められるのはマルチな能力といえる。
「特殊部隊」は、正規軍の情報部隊(インテリジェンス部隊)よりも、「CIA」や「MI6」のような政府情報機関と連携して行動する。
作戦プロセスの成功の鍵を握る上で、「秘密工作員」や「特殊工作員」は、自分の身分を偽装して、潜入するのは当たり前のこととされる。
なぜなら、自身が「秘密工作員」、「特殊工作員」であることを敵や標的に気付かれてしまえば、敵は警戒するので、潜入や浸透工作に失敗する。
そのため「秘密工作員」や「特殊工作員」は、記者やジャーナリスト、会社員、ボランティア、慈善団体などの民間人の身分に偽装して潜入し、敵に警戒されないように浸透して、作戦を遂行する。
語学は必須の道具であり、単なる語学だけでなく、現地や異文化の慣習や宗教などを理解して、現地に溶け込むような適応力も必要とされる。
また、「特殊作戦」は海外において展開されるだけではなく国内においても作戦が企画・立案・実行されるものであり、その場合には、標的とする企業や組織に潜入して近づく能力も必要とされている。
「特殊作戦」における大事な任務には、現地における「宣伝戦」と「心理戦」もある。 米軍においては、特殊作戦コマンド(SOCOM :United States Special Operations Command)の指揮下に心理戦部隊が組み込まれている。
心理作戦というのは、高度な専門性を要し、テレビ局や新聞社、雑誌や週刊誌、ネットメディアへの働きかけや報道を行ったり、敵や標的に対して直接心理的揺さぶりをかけるなど、独自の作戦が遂行されていく。
「特殊作戦」において、テレビ局や新聞社や雑誌、週刊誌、ネットメディアなどを駆使したメディア戦を遂行することで、印象操作や情報操作が行われる。
また、作戦を遂行する上で必要な「協力者」や「仲間」を集め、統合的に運用する能力が不可欠である。
グリーンベレーをはじめとして圧倒的な予算によって支えられている米軍の「特殊部隊」は、世界的にも桁違いの規模である。「特殊作戦」を遂行する「特殊部隊」は、その国の政治的・外交的・経済的な分野において、どれだけのことが求められるかによって、その作戦規模や形態は大きく異なってくる。
イギリス陸軍の特殊部隊「SAS:Special Air Service」は、伝統的に少人数の作戦活動で、「戦闘力」、「情報」、「心理戦」を含めた総合的な能力が非常に高い。 「SAS」では、1チームが4人編成で、たった4人で、作戦を成功させることが求められる。 「特殊作戦」を担う「工作員」は、1人1人がマルチにあらゆることをできるように高度な教育と訓練を受ける。「特殊工作員」や「秘密工作員」は、作戦目的を達成するための「マルチな技能」と「複数の協力者」を、最適なかたちで使いこなせるよう「企画力」と「実行力」が不可欠だからだ。
現代戦においては、従来の「正規軍の戦闘により勝敗を決する」というよりも、「非正規戦」つまり「特殊作戦」がメインとなりつつある。忘れてはいけないことだが、いまや金融、環境、衛星など、多くの分野が「特殊作戦」のフィールドになっている。
第2次世界大戦前後には、米軍のOSS(戦略サービス室:CIAの前身組織)や、日本陸軍の中野学校出身者たちは、きわめて政治的で特殊な作戦を遂行していた。
もっと古くは、日露戦争の頃には、明石元二郎大佐は、ロシア政権を転覆するための「秘密工作」に従事した。
第2次世界大戦後、これらの組織は「情報機関」へと変化していくが、ベトナム戦争を機に米軍の「陸軍特殊部隊(グリーンベレー)」が、「民間工作」の秘密作戦を遂行し始める。
「グリーンベレー」が、民間人に偽装したり、民間会社を設立して、現地の人を雇用したり、民衆の支持を獲得するために、現地で医療や建設、農業などを支援する。 このように「特殊部隊」は、通常の正規軍部隊とは異なる「秘密作戦」を遂行するようになっていく。
◇これからの「特殊作戦」と「秘密工作員」
アメリカは、「特殊部隊」や「特殊工作員」によって編成する部隊を増加させていくことを方針として打ち出している。軍隊だけの中から人材を集めていたのでは人材が足りないということで、各国の安全保障分野の組織においては、「一般市民」や「刑務所に収容されている人々」の中から優秀な人物を「選抜」して、リクルートするようなことまで行われている(注4)。
また「特殊作戦」における拉致や暗殺といった「秘密工作」は、法律違反の作戦であることが多く、各国の「特殊部隊」や「CIA」などにおいては、秘密作戦遂行の過程で現役の軍人が逮捕された際に、政府に対する責任追及が起きないように、「特殊作戦」遂行においては、「外注」の形式を装って退役軍人や民間人を「秘密工作員」として「秘密作戦」に従事させる(注5)。
各国の刑務所は、政府の中枢である法務省や司法省など政府中枢の意思が働くように運営されている。
優秀な人材をめぐって、刑務所や逮捕された人材を秘密裏に取り込んで活用してきたケースは安全保障分野においてもかなりの人数を誇る。現在でこそ、アメリカのキース・アレクサンダー(米国サイバー軍司令官、NSA長官、amazon取締役)氏が、刑務所に収容されている人物をハッカーやプログラマーとして政府のサイバー戦に活用しリクルートしていることは非公式ながら有名なことである。日本の過去を振り返れば、巣鴨刑務所に収容されていた岸信介氏は、釈放後数年で日本の総理大臣になり、刑務所から釈放された児玉誉士夫氏は、日本のヤクザをまとめ、テレビ局や新聞社などの日本メディアに大きな影響力を行使していく。同じように刑務所から釈放された正力松太郎は、テレビ局の設立や日本の原子力政策を推進していった。
どの国の政府も決して公式には認めないことだが、 秘密作戦に従事して逮捕された「秘密工作員」や「特殊工作員」は、刑務所内部の秘密プロジェクトに従事したり、司法取引や秘密恩赦などによって秘密裏に釈放されているケースもあると漏れ伝わる。
現代の「特殊作戦」はきわめて高度に洗練されたものとなっており、外交、経済、IT、金融、環境といった「マルチ・タレント」を持った人材が、要求されている。
インター・エージェンシー的活動を個人で遂行できる「マルチ・スーパー・プレイヤー」こそが、これからの新しい「特殊作戦」で要求される人材である。
今後、ポリティカルな作戦(政治的な作戦)が、さらに増えるということは明らかであり、特殊部隊が政治の中枢と連携していく流れが加速していく。
アメリカでは、一部の特殊部隊は、統合参謀本部の指揮下にあっても、すでにホワイトハウスからの直接の命令を受ける体制となっている。主要国においては、「特殊作戦」に従事する人々を、政府の中枢から直接動かせるような体制を構築し始めている。
特殊部隊は今後、さらにポリティカル(政治的)なフォースになっていくことだろう。 陸上自衛隊の「特殊作戦群」(日本版グリーンベレー)や米軍の「グリーンベレー」の関係者たちは、世界の平和を維持するために、各国の政治・経済分野の現場において「秘密工作」や「特殊工作」を勇敢・冷静に担い続けていく。もしかしたら、あなたの会社の上司や取引先の部長も、「秘密工作員」かもしれない(笑)。
(注1)
・美人工作員「アンナ・チャップマン氏」は、自身の身体を活用して政府要人とのセックスで信頼を得て、秘密工作や情報収集活動に従事した(2010年6月27日にFBIが逮捕。のち2010年7月9日に秘密恩赦によって釈放されロシアへ)。
・上海総領事館員自殺事件(2004年)においてセックススキャンダルによる脅迫に苦しんだ日本人の通信担当官(事務官)が自殺した事件。それまで女性を使ったセックススキャンダル的な秘密工作を中国は行わないとされてきたが、
中国の国家公安部の隊長とされる人物は「女性スキャンダルの脅迫」を用いて、日本人通信担当官に対して、日本総領事館に勤務する日本人全員の「出身官庁を教えろ」「日本の外交暗号」(公電と呼ばれる外交暗号システム)を教えろと要求。 通信担当官は遺書を残して、日本領事館内の宿直室で自殺した。日本総領事あての遺書には「一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と記されていたという。
(注2)
病死や窒息死に見せかけた暗殺工作のための道具は、CNNニュース『北朝鮮の「暗殺道具」、韓国当局者がCNNに公開』において報道公開される(2012年11月26日)。
(注3)
・田中角栄首相が逮捕されたロッキード事件における秘密工作疑惑が代表的とされている。
(注4)
・韓国軍684部隊は、犯罪者を集めた秘密部隊であった。
・米国家安全保障局(NSA)長官(米サイバー軍司令官・のちにamazon取締役)キース・アレクサンダー氏がハッカーの祭典「デフコン」に登場し人材を募集。 「我々はインターネットを作った当事者の1人だ。今、我々はインターネットを守る立場にあり、あなた方が力となってくれると思う」と語った。NSAはデフコンのために人員募集用の特別サイトを用意。 そこには政府が募集する際には通常使わないような文言があり、「もしあなたが、過去に多少の『無分別な行為』をしたことがあっても、心配しないで」と記され話題になった。
※CNNニュース2012年7月30日報道)
・イスラエルの特殊情報部隊「Unit9900」は、約100人の自閉症(ADHD、アスペルガー症候群)という脳障害者によって編成される。自閉症部隊は、高度な写真解析や画像情報処理、IT分野における諜報活動に従事。
(注5)
・報道において、「暗殺作戦」を退役軍人らが勤務する民間軍事会社「ブラックウォーター」社にCIAが委託していた事実が報じられ、アメリカ政府情報当局の高官の話として「外部委託であれば、何かまずいことが起きた場合にもCIAを守ることができる」と報道。 2009年のNHK、AFP通信、ワシントン・ポストの報道。
【参考】
・ ワールド・インテリジェンスVol9 荒谷卓『陸上自衛隊の専門家に聞く「世界の特殊部隊」事情 特集 特殊部隊と心理戦の最先端 荒谷卓 陸自研究本部室長(前特殊作戦群長)』2007年10月号
・週刊プレイボーイ「陸自特殊部隊の初代隊長はなぜ自衛官をやめ、熊野の山に里を開いたか 荒谷卓」2020年10月号
・AFP通信『CIA、アルカイダ幹部暗殺計画を民間企業に外部委託か 米メディア』2009年8月20日
・CNN『北朝鮮の「暗殺道具」、韓国当局者がCNNに公開』2012年11月26日
・AFP通信『米露、冷戦時代のスパイ交換を完了』2010年7月10日
・CNN『「人材求む」米サイバー軍司令官がハッカーの祭典で勧誘』2012年7月30日